※この物語はフィクションです。
終電に乗ること自体は珍しくなかった。
その日も仕事帰りだった。疲れていたわけではない。少し帰宅が遅くなり、普段使っているローカル線の下り列車に乗っただけだった。
車内は空いていた。
乗客は数人。向かい側の席で眠るスーツ姿の男、ドア付近でスマホを見続ける若者、端の席に座る年配の女性。
窓の外は真っ黒だった。
地方の路線だから、駅と駅の間は街灯も少ない。普段なら何も気にしない。
けれど、その夜は少しだけ違った。
気づいたきっかけは停車時間だった。
いつもの駅に停まらない。
窓の外を確認する。通過したはずの駅の明かりが見えない。
「……あれ?」
車内アナウンスもない。
しばらくすると、列車はさらに速度を上げた。
駅をいくつも飛ばしているような感覚だった。
スマホを見る。
圏外。
トンネルでもないのに。
違和感はそこで終わらなかった。
さっきまでいた乗客が、いつの間にか減っていた。
向かいの男はいない。
若者もいない。
気づけば車内には自分と、端に座っていた年配の女性だけだった。
声をかけようか迷っていると、その女性がゆっくり顔を上げた。
目が合った。
女性は少し笑った。
「まだ降りないの?」
聞き返そうとした瞬間、列車が急ブレーキをかけた。
停車。
ドアが開く。
外は暗かった。
ホームに照明はあるが、古びていて薄暗い。
駅名標が見えた。
白地に黒い文字。
『きさらぎ駅』
見たことがない駅だった。
路線図にもない。
女性を見る。
さっきまでそこにいたはずなのに、席は空いていた。
車内に誰もいない。
急に不安が押し寄せる。
ドアが閉まる音がして振り返った。
列車はそのまま走り去っていった。
ホームに一人残された。
静かだった。
虫の声もない。
風だけが吹いている。
駅舎は小さい。
改札は無人。
時計は午前二時過ぎを指していた。
スマホは圏外。
試しに地図を開く。
現在地が表示されない。
ホームの先を見る。
線路は闇に飲まれていた。
戻ろうかと思ったが、次の電車がいつ来るかもわからない。
駅の外へ出た。
古い舗装路。
街灯はまばら。
民家らしき影はあるが、どこも灯りがない。
歩く。
しばらくすると遠くから音が聞こえた。
太鼓。
一定のリズム。
祭囃子のようだった。
人がいる。
そう思った。
音を頼りに進む。
だが近づいているはずなのに景色が変わらない。
道だけが続く。
やがて踏切が見えた。
遮断機はない。
古びた警報機だけ。
そこに男が立っていた。
作業着姿。
こちらを見ている。
「駅から来たの?」
男はそう聞いた。
うなずく。
男は少し困った顔をした。
「戻ったほうがいい」
「どこに行けばいいですか」
男は答えなかった。
代わりに線路の向こうを指した。
「長くいないほうがいい」
その言い方が妙だった。
危険だ、ではない。
“長くいると何かが起きる”。
そんな含み方だった。
礼を言って駅へ戻ろうとした。
ふと振り返る。
男はいなかった。
一本道なのに。
隠れる場所なんてない。
心臓が速くなる。
急いで歩く。
駅へ戻る途中、また太鼓の音がした。
さっきより近い。
音だけが近づいてくる。
立ち止まる。
耳を澄ます。
太鼓の間に、人の声のようなものが混ざっていた。
笑い声。
誰かを呼ぶ声。
聞き取れない。
でも、自分の名前を呼ばれた気がした。
走った。
駅へ戻る。
ホームに着いたとき、列車が停まっていた。
来た。
助かった。
そう思った。
だが乗ろうとして足が止まった。
車内が暗い。
人影が並んでいる。
誰も動かない。
全員、こちらを向いて座っている。
顔は見えない。
ドアが開いている。
乗れば帰れる。
そんな気がする。
でも、違う気もした。
そのとき。
背後で声がした。
「まだ早い」
振り返る。
あの年配の女性だった。
列車で見た人。
ホームの端に立っている。
「その電車じゃない」
静かな声だった。
理由はわからない。
でも、乗ってはいけないと思った。
いるなら、向こうも気づいていないかもしれないから。
この物語のベースとなったきさらぎ駅の都市伝説、その起源と真相はこちら。
きさらぎ駅の都市伝説・起源と真相


コメント