くねくねの都市伝説を題材としたショートストーリー

くねくねの都市伝説 STORY

あれを見たのは、小学三年生の夏休みだった。

毎年八月になると、私は四つ上の兄と二人で、北海道の祖父母の家に預けられた。家のまわりには、見渡すかぎり畑が広がっていた。じゃがいもの濃い緑と、刈り取りを待つ麦の金色が、低い山並みの手前まで、どこまでも続いていた。昼を過ぎると、地面から熱が立ちのぼり、遠くの景色は陽炎でゆらゆらと揺れて見えた。

その日も朝から暑かった。祖父母は昼ごはんのあと、縁側で昼寝を始めた。退屈した兄と私は、祖父の古い双眼鏡を首から下げて、近くの用水路へ遊びに出た。鳥を見るのだ、と兄は言っていたが、本当はただ、双眼鏡を持ち歩いてみたかっただけだと思う。

土手を歩いて、石を投げて、ザリガニの穴をのぞいて、しばらくしたころ、兄が急に足を止めた。

「おい。あれ、何だ」

兄が指さしたのは、畑のずっと向こうだった。陽炎の中に、白いものが立っていた。

最初は、案山子か、白い服を着た誰かだと思った。けれど、それは動いていた。風に揺れているのとは違った。体そのものが、くねくねと、左右に曲がっていた。人間の体なら曲がるはずのない場所で、曲がるはずのない角度に折れて、また戻って、また折れていた。

「見せて」

私は兄の首から双眼鏡を引っぱって、先にのぞいた。

ピントが合わなかった。白いものは、陽炎の向こうで、にじんだ染みのようにしか見えなかった。ただ、見ているうちに、こめかみの奥がじんじんと痛くなってきて、胃のあたりが冷たく重くなった。気持ちが悪くなって、私はすぐに双眼鏡を下ろした。

「見えない。気持ち悪い」

兄は笑って、「貸せ」と双眼鏡を取った。

「あー、確かに白いな。何だろ、あれ」

最初は、そう言っていた。それから、兄は黙った。

双眼鏡を目に当てたまま、動かなくなった。私は飽きて、足元の小石を蹴って遊んでいた。蝉の声がうるさかった。どれくらいたったのか、わからない。ふと顔を上げると、兄はまだ、同じ姿勢で畑の向こうを見ていた。双眼鏡を持つ手の甲に、汗の粒がびっしりと浮いていた。

「兄ちゃん、もう帰ろうよ」

返事はなかった。

しばらくして、兄が、小さな声で言った。

「……そういうことか」

「何が?」

「わかった」

嬉しそうな声ではなかった。驚いた声でもなかった。何か、ずっと解けなかった問題の答えが、ふいに頭の中で組み上がったときのような、静かな、納得した声だった。その声を聞いた瞬間、背中を冷たいものが這いのぼった。

兄は双眼鏡を下ろした。

笑っていた。口の両端だけが、上に引っぱられたように持ち上がっていた。目は、私を見ていなかった。私の顔の、少し後ろのあたりを見ていた。焦点がどこにも合っていなかった。

「帰るぞ」

帰り道、兄は一言もしゃべらなかった。

家に着くと、縁側で目を覚ました祖母が、兄の顔を見るなり立ち上がった。「どうしたの」と聞いても、兄は笑っているだけだった。夕飯の席でも同じだった。箸を持ったまま、ご飯に手をつけず、畑のある方角の壁を、ずっと見て笑っていた。

祖父が、箸を置いた。

「畑の向こうで、何か見たか」

兄は、ゆっくりと祖父のほうを向いた。

「わかった」

祖父の顔から、血の気が引いていくのがわかった。祖父は立ち上がると、何も言わずに兄の頭を抱えこみ、大きな手のひらで、兄の両目をふさいだ。その手が、震えていた。

その夜、兄は笑い出した。

隣の布団で寝ていた私は、その声で目を覚ました。大声だった。意味のない笑いが、喉が裂けるかと思うほどの大きさで、止まらずに続いていた。豆電球の薄明かりの中で、兄は布団の上に起き上がっていた。

兄の体が、揺れていた。

左右に、ゆっくりと。腰から上が、右に大きく傾いて、戻って、今度は左に傾いた。傾くたびに、角度が深くなっていった。首が、肩につくほど横に倒れた。腕が、肘のところで外側に折れた。ぱき、と乾いた音がした。それでも兄は笑いながら、くねくねと、左右に体を揺らし続けていた。昼間、陽炎の向こうで揺れていた、あの白いものと、同じ動きだった。

祖父母が駆けこんできた。祖母が悲鳴を上げた。祖父が兄を押さえつけ、何かを叫んでいた。私は布団を頭からかぶって、耳をふさいだ。笑い声と、骨の鳴る音は、それでも聞こえていた。

翌朝、兄はいなかった。

病院へ連れていかれたのだと、あとで聞いた。どこの病院なのか、どうなったのか、誰も教えてくれなかった。祖父母も、両親も、その話になると黙った。兄は、それきり家に戻ってこなかった。

何年もたって、祖母が亡くなる少し前に、一度だけ聞いたことがある。

「あの日、兄ちゃんは何を見たの」

祖母は長いあいだ黙っていた。それから、こう言った。

「知らなくていい。……あの子はね、わかってしまったんだよ」

それ以上は、何も言わなかった。

だから私は今も、夏の畑を眺めるとき、遠くを見ないようにしている。陽炎の向こうに白いものが見えても、決して目を凝らさない。

ただ、このごろ、ときどき思い出すことがある。

あの日、双眼鏡を先にのぞいたのは、私だった。

ピントは合わなかった。白いものは、にじんだ染みにしか見えなかった。それでも、あのとき私は、ほんの少しだけ、それを見ている。

最近、夏のアスファルトの照り返しの中に、白いものが揺れているのを見かけることがある。都会の、何もない交差点の向こうに。気のせいだと思って目をそらす。けれど、目をそらす直前に、いつも、頭の奥で、何かが少しだけ組み上がる感じがする。

あの日から三十年かけて、ピントが、少しずつ合ってきている気がする。

わかってしまうまで、あとどれくらいなのか。それだけは、わからない。


この物語のもとになったくねくねの都市伝説、その起源と真相はこちら。
くねくねの都市伝説・起源と真相

※この物語はフィクションです。実在の場所や伝承を題材にしていますが、登場人物・出来事はすべて架空のものです。

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