あの日から、肉が食べられなくなった。
大学四年の夏、友だちの和也と二人で、レンタカーを借りて旅行に出た。和也は二十歳の誕生日に、左の手首に小さな青い星のタトゥーを入れていて、旅行中もハンドルを握るたびに、それを見せびらかしていた。帰りに近道をしようとして、地図アプリが勧める峠道に入った。山の中で電波が切れ、道は思ったより長く、昼をとっくに過ぎても、店は一軒も見当たらなかった。
峠の頂上近くで、古いドライブインの看板が見えた。
「手打ちうどん・名物肉料理 ドライブイン やまびこ」
色のあせた看板の下に、平屋の建物が一軒あった。表の駐車場には、ほかに車が一台もなかった。
店に入ると、奥から腰の曲がった老人が出てきた。顔じゅうをしわだらけにして、にこにこ笑っていた。
「いらっしゃい。今日のおすすめは、肉だよ。煮込みがいいよ」
私たちは、その煮込み定食を二つ頼んだ。
運ばれてきたのは、茶色く照りのある、大きな肉の塊だった。箸を入れると、ほろりとほどけた。
ひと口食べて、和也が声を上げた。
「なにこれ。うますぎる」
本当に、うまかった。牛とも豚ともちがう、甘くて、少しだけくせのある脂だった。何の肉かと聞くと、老人は「山のものだよ」とだけ言って笑った。
食べている途中で、老人がノートとペンを持ってきた。
「お客さんには、名前と住所を書いてもらってるんだ。年賀状を出すからね」
ノートには、何十人分もの名前と住所が、いろいろな字で書き込まれていた。断りづらくて、私も和也も、自分の住所を書いた。
老人はノートを受け取ると、私たちの顔を順番に見た。
「ここに来ることは、誰かに言ってきたかい」
「いえ。たまたま通りかかっただけなんで」
和也が答えると、老人は、そうかい、そうかい、と、うれしそうにうなずいた。
煮込みの最後のひと切れを口に入れたとき、歯に、固いものが当たった。
骨かと思って、ティッシュの上に吐き出した。
小さな、白いかけらだった。骨ではなかった。
歯だった。人間の、奥歯だった。噛む面に、銀色の詰め物がしてあった。
私は、それをティッシュでくるんで、ポケットに押し込んだ。手が、震えていた。顔を上げると、カウンターの向こうで、老人がこちらを見て笑っていた。さっきと同じ、しわだらけの笑顔だった。
「どうだい。うまかったろう」
私は、うなずくことしかできなかった。
急いで会計をすませて、店を出た。店の裏手に、車が何台も停まっているのが見えた。どれも、窓ガラスが苔で緑色になり、タイヤがつぶれていた。ナンバープレートは、全部ちがう県のものだった。
老人は、駐車場まで見送りに出てきた。
「また来てくれるかい」
和也が、はい、絶対また来ます、と答えた。私は、何も言わずに車に乗った。
帰りの車の中で、和也に歯のことを話した。ティッシュを開いて、見せた。
和也は、ちらっと見ただけで、すぐに目をそらした。
「豚の骨だろ。考えすぎだって」
それきり、和也は歯のほうを見ようとしなかった。そのかわりに、「あの肉、また食いたいな」と、何度も言った。
私は、その歯を警察に持っていくことができなかった。何を食べたのか、誰にも言いたくなかった。歯は、ティッシュにくるんだまま、机の引き出しの奥にしまった。
それから、私は肉を食べられなくなった。
和也は、逆だった。会うたびに、あのドライブインの話をした。何を食べても味がしない、あの煮込みが忘れられない、と言った。そのころから和也は、目に見えてやせていった。
秋の終わりに、和也と連絡が取れなくなった。
和也の母親から電話があった。和也は、一人で車を借りて出かけたまま、帰ってこないという。レンタカーは、あの峠の近くの山道で、乗り捨てられているのが見つかった。
和也がどこへ行ったのか、私にはわかっていた。でも、それを言えば、あの日私たちが何を食べたのかも、話さなければならなかった。
一週間前、うちに、冷凍便が届いた。
送り主の欄には、「ドライブイン やまびこ」と書いてあった。
発泡スチロールの箱の中には、ラップに包まれた肉の塊が三つと、便箋が一枚入っていた。
「その節は、ご来店ありがとうございました。和也様からのお届けものです。またのお越しを、お待ちしております」
三つのうち、一つだけ、ラップの中の肉に、皮がついていた。
その皮の上に、小さな星の形の、青いタトゥーがあった。和也の左の手首にあったものと、同じ形だった。
私は、箱を閉めて、ベランダに出した。今も、そこにある。
警察に届けなければいけないことは、わかっている。何度もスマホを手に取った。そのたびに、あの煮込みの甘い脂の味が口の中によみがえって、指が動かなくなった。
昨日の夜、箱に貼られた伝票をもう一度よく見て、気づいたことがある。
この荷物は、あの峠から送られたものではなかった。
荷物を受けつけた店の欄に書いてあったのは、私のアパートから歩いて五分の、いつも行くコンビニの名前だった。
誰かが、あの箱を抱えて、私の家のすぐ近くまで来ていた。
あのノートに、私が自分の手で書いた住所を見て。
この物語のもとになったドライブインの肉の都市伝説、その起源と真相はこちら。
ドライブインの肉の都市伝説・起源と真相
※この物語はフィクションです。実在の場所や伝承を題材にしていますが、登場人物・出来事はすべて架空のものです。

