ターボババアの都市伝説を題材としたショートストーリー

オレンジの照明が続く対面通行のトンネルを走る軽バン。助手席の窓の外側に、骨ばった手の跡が残っている STORY

「六甲のトンネルで窓を叩かれても、絶対に抜かせるな」

配送の仕事を始めて一週間目、休憩室でそう言ったのは、ドライバー仲間の誰かだった。夜中に六甲山を越える道を走っていると、ばあさんが車の横を走ってくる。それに追い抜かれた車は、事故を起こす。だから、どんなにアクセルを踏んでも、抜かせちゃいけない。

ターボババア、という名前は、僕も聞いたことがあった。みんな笑っていたし、僕も笑った。

その夜、僕は一人で、軽バンを走らせていた。午前二時すぎ、山の中の長いトンネルに入った。対向車も、後ろを走る車もいなかった。

こつ、こつ。

助手席の窓を、何かが叩いた。

メーターは時速七十キロを指していた。風で何かが当たったのだと思った。それでも、窓のほうを見てしまった。

窓のすぐ外に、老婆の顔があった。

白い髪を振り乱し、しわだらけの顔を、ガラスに押しつけるようにして、こちらをのぞきこんでいた。その体は、トンネルのオレンジの明かりの中で、四つん這いになっていた。両手と両足で、アスファルトを叩くように蹴って、車とまったく同じ速さで走っていた。背中に、白い紙が一枚、貼りついているのが見えた。

こつ、こつ。

老婆は、骨ばった指で、もう一度、窓を叩いた。そして、前のほうを指さした。先に行かせろ、というように。

抜かせるな。

休憩室で聞いた言葉が、頭の中で鳴った。僕はアクセルを床まで踏みこんだ。八十、九十、百。軽バンのエンジンが悲鳴を上げた。老婆は離れなかった。百十キロになっても、ガラスの向こうに、同じ顔があった。

窓を叩く音が、だんだん強くなっていった。こつ、こつ、が、どん、どん、になった。ガラスに押しつけられた老婆の顔が、ゆがんでいた。

トンネルの出口が見えた。僕は、ハンドルにしがみついたまま、そのまま外へ飛び出した。

窓の外には、誰もいなかった。

山を下りて、配送先の倉庫に着いたときには、全身が汗で濡れていた。

次の日、僕はその話を、ベテランの村井さんにした。冗談のつもりだった。抜かせませんでしたよ、と言うと、村井さんの顔から、すっと血の気が引いた。

「抜かせなかったのか」

村井さんは、しばらく黙ってから、言った。

「あれはな、休憩室の若いのが言ってるのとは、逆なんだ」

あのばあさんが横に出てくるのは、その車が、この先で事故を起こすと決まっているときだけだ。窓を叩いて、先に行かせろと言っているのは、その事故を、自分が先に持っていくためだ。だから、抜かせてやれば助かる。昔から、この山を走る年寄りのドライバーは、みんなそう言っていたという。

「でも、何も起きませんでしたよ」

「事故が決まってるのは、その夜とは限らない」

村井さんは、それきり、何も言わなかった。

それから毎晩、トンネルに入ると、窓を叩く音がする。

今では、僕のほうからスピードを落とす。五十キロ、四十キロ、三十キロ。後ろに車がいないのを確かめて、ハザードをつけて、どうぞ先に行ってくださいと、窓の外に向かって頭を下げる。

けれど、老婆は、もう抜いてくれない。

僕が減速すれば、老婆も減速する。止まれば、老婆も止まる。窓の向こうで、四つん這いのまま、僕の顔をじっと見ている。一度、先に行かせなかったやつは、もう助けない。そう言われている気がする。

背中の白い紙に何が書いてあるのか、あの夜は見えなかった。ゆうべ、トンネルの明かりの下で、やっと読めた。

紙には、僕の名前が書いてあった。

今夜も、トンネルに入った。

こつ、こつ。

窓を叩く音がした。けれど今夜の老婆は、僕のほうを見ていなかった。四つん這いで並んで走りながら、トンネルの出口の先の、急なカーブのほうを見て、笑っていた。

僕はブレーキを踏んだ。

ペダルは、どこまでも、沈んでいった。


この物語のもとになったターボババアの都市伝説、その起源と真相はこちら。
ターボババア(ターボばあちゃん)の都市伝説・起源と真相

※この物語はフィクションです。実在の場所や伝承を題材にしていますが、登場人物・出来事はすべて架空のものです。

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