鮫島事件
※この物語はフィクションです。
大学二年の冬だった。
その日は講義もなく、アパートで一人、退屈な午後を過ごしていた。
外は曇り空だった。窓の向こうには灰色の雲が垂れ込め、夕方には雨になるらしい。机の上には飲みかけの缶コーヒーとノートパソコン。
俺は何気なくネット掲示板を眺めていた。
オカルト板だった。
「今でも語り継がれるネット怪談」
そんなスレッドを開き、流し読みしていた時だった。
『結局、鮫島事件って何だったんだ?』
その一文が目に入った。
直後、いくつもの返信が並ぶ。
『やめろ』
『その話題は禁止』
『消せ』
『知らない方がいい』
『マジでやめとけ』
思わず笑った。
典型的な都市伝説の流れだ。
書き込みをした人間も、返信している連中も、半分は遊びでやっているのだろう。
だが妙だった。
誰一人として内容を語らない。
普通なら、
「○○県で起きた事件だ」
とか、
「行方不明者が出た」
とか、
何かしら説明が出る。
だが鮫島事件だけは違った。
全員が口を閉ざしている。
まるで本当に話してはいけない何かであるかのように。
俺は興味を持った。
検索窓に文字を打ち込む。
鮫島事件。
検索。
表示された結果は意外なほど少なかった。
都市伝説の解説サイト。
まとめ記事。
掲示板の過去ログ。
どれも決定的な情報がない。
「何だこれ……」
画面をスクロールしながら呟く。
内容がない。
事件の詳細がない。
起きた場所も不明。
被害者も不明。
犯人も不明。
ただ、
「鮫島事件は危険」
という言葉だけが繰り返されている。
気味が悪かった。
その日の夜。
高校時代の友人である健太にメッセージを送った。
『鮫島事件って知ってる?』
すぐ既読が付いた。
だが返信は十分後だった。
『何で急に?』
『いや、ネットで見た』
しばらく沈黙。
そして返ってきた。
『調べるな』
思わず笑ってしまった。
『お前まで何だよ』
『冗談じゃない』
『みんなそう言うけど何なの?』
既読。
返信なし。
そのまま会話は終わった。
翌日。
俺はさらに調べ続けた。
掲示板。
ブログ。
アーカイブサイト。
古いネット記事。
だが何も出てこない。
あるのは警告だけだった。
『触れるな』
『検索するな』
『知らない方がいい』
『昔のネットを知ってる人なら分かる』
その中で、一つだけ妙な書き込みを見つけた。
投稿日時は十年以上前。
短い文章だった。
『鮫島事件は存在しない』
それだけなら何でもない。
だが続きがあった。
『存在しないことが異常なんだ』
その瞬間、背筋が寒くなった。
存在しない?
どういう意味だ。
ネット上には無数のデマや怪談がある。
だがそれらには元ネタが存在する。
噂の出所がある。
誰かが最初に語り始める。
しかし鮫島事件にはそれが見当たらない。
どこにもない。
始まりが分からない。
内容も分からない。
なのに全員が知っている。
それが異常だと言うのだ。
その夜。
午前三時過ぎだった。
パソコンの前で古い掲示板ログを漁っていた時。
一つのスレッドに辿り着いた。
日付はかなり昔。
そこにはこんなやり取りが残されていた。
『鮫島事件って結局何なんだ?』
『その話はやめろ』
『誰か教えて』
『本当に知らないのか?』
『知らない』
『だったらそのままでいろ』
『何があったんだよ』
『知ったら終わり』
そこでログは途切れていた。
不自然だった。
まるで途中で切り取られたように。
俺はページを更新した。
すると突然、ブラウザが固まった。
カーソルが動かない。
数秒後。
画面が真っ黒になった。
心臓が跳ねる。
だがすぐ復旧した。
ただ、その時だった。
画面の隅に、一瞬だけ文字が表示された気がした。
『見つけた』
俺は椅子から立ち上がった。
今のは何だ。
錯覚か。
疲れか。
だが胸の奥がざわついていた。
翌日。
健太から電話が来た。
珍しかった。
「お前、本当に調べてるのか?」
開口一番だった。
「だから何なんだよ」
「やめろ」
「理由を言えよ」
沈黙。
受話器の向こうで息遣いだけが聞こえる。
そして小さな声で言った。
「俺も昔、調べたことがある」
「それで?」
「何もなかった」
「だろ?」
「だから怖いんだよ」
俺は言葉を失った。
健太は続けた。
「どこまで探しても何もない。でも調べた奴らは全員同じ反応をする」
「同じ反応?」
「途中でやめる」
電話はそこで切れた。
それから数日。
俺はほとんど意地になっていた。
鮫島事件。
その正体を知りたかった。
だが調べれば調べるほど異常だった。
情報がない。
本当にない。
誰も説明できない。
誰も知らない。
なのに皆が知っている。
ある夜。
俺はふと思った。
もしかすると。
この都市伝説の本質は。
事件そのものではなく。
「何もないこと」なのではないか。
その瞬間だった。
頭の中で何かが繋がった。
鳥肌が立つ。
もし最初から内容が存在しないなら。
人々は何を恐れているのか。
なぜ何十年も語り継がれているのか。
なぜ全員が警告するのか。
その答えに触れそうになった瞬間。
パソコンの通知音が鳴った。
見覚えのないメッセージだった。
送信者不明。
本文は一行だけ。
『お前も気付いたな』
血の気が引いた。
誰だ。
何に気付いた。
震える指で返信しようとした。
だが送信先は存在しなかった。
アカウントも消えていた。
その後、何度調べても見つからない。
履歴にも残っていなかった。
俺はパソコンを閉じた。
もう十分だった。
知りたいと思っていた。
だが今は違う。
知りたくなかった。
いや。
正確には。
知ってしまった気がしていた。
鮫島事件には内容がない。
事件もない。
真相もない。
それなのに人々は恐れる。
空っぽだからだ。
中身がないからこそ、見る者は自分の恐怖をそこに映してしまう。
説明できない空白。
誰も埋められない欠落。
その不気味さだけが増殖していく。
俺は二度と検索しなかった。
だが今でも時々思い出す。
深夜。
ネットを見ていると。
ふと見慣れた書き込みが目に入ることがある。
『鮫島事件って何?』
その下には決まって同じ返信が並ぶ。
『やめろ』
『知らない方がいい』
『消せ』
『その話題は禁止』
誰も内容を書かない。
誰も説明しない。
そして俺も書き込まない。
なぜなら。
あれが何なのか。
最後まで分からなかったからではない。
むしろ逆だ。
分かってしまった気がするからだ。
だが、それを言葉にした瞬間。
本当に何かが終わってしまう気がしている。
だから今も、誰も語らない。
鮫島事件については。
この物語のベースとなった鮫島事件の都市伝説、その起源と真相はこちら。
鮫島事件の都市伝説・起源と真相


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