オルレアンのブティックの都市伝説を題材としたショートストーリー

古いブティックの薄暗い地下。誰かが着ていた服のラックが奥まで続き、緑のカーテンの試着室には鏡と椅子、深い青のドレス。床には四角い切れ目と黒ずんだ染みがある STORY

旅先というものは、人を少しだけ大胆にする。

フランスに留学して半年がたった秋、遥は授業のない週末を使って、地方の街をひとりで巡ることにした。最初に選んだのはオルレアンだった。ジャンヌ・ダルクの街として知られる、歴史のある静かな街だ。観光客はパリほど多くなく、石畳の路地と古い木組みの家並みに、午後のやわらかい陽射しが落ちていた。

ほんの少しだけ、別の理由もあった。

去年、同じ大学からこの国に留学していた先輩の加奈子さんが、旅行中に行方不明になっていた。最後に連絡があったのが、この街だった。遥は加奈子さんと同じサークルで、留学の相談にも乗ってもらっていた。彼女のリュックには、サークルの仲間でおそろいにした、フェルトの黒猫のキーホルダーがいつも揺れていた。事故だろう、と周りは言った。遥も、そう思おうとしていた。

昼過ぎ、大聖堂の裏手の細い通りで、一軒のブティックが目に入った。

看板は小さく、店構えも地味なのに、ショーウインドウの服だけが、ほかの店とは違って見えた。深い青のドレスだった。襟元に細かい刺繍が入っていて、どこか古い時代のものを思わせる、上品な形をしていた。

店先に、黒いワンピースの年配の女性が立っていた。女性は遥を見ると、にっこりと笑った。

「日本の方?」

驚いた。たどたどしいが、確かに日本語だった。

「少しだけ、話せます。日本のお客様、多いのです。どうぞ、中へ」

店内は外より少し暗く、香水とも古い木ともつかない、甘い匂いがした。服が整然と並んでいた。手に取った値札を見て、遥は二度見した。見た目から想像する値段の、半分以下だった。

「安いですね」

店主は少し首をかしげて、笑った。

「良いものを、手の届く値段で。……地下にも、ございます。特別なお客様にだけ、お見せする品です」

店の奥に、細い階段が下へ続いていた。外から見た店の大きさからすると、地下があるようには思えなかった。少し迷った。けれど、旅先の高揚もあった。遥はうなずいた。

地下は、思っていたよりずっと広かった。

天井の低い部屋が、奥へ奥へと続いていた。裸電球の弱い光の下に、服が並んでいた。並びすぎていた。ハンガーラックが何列も、暗がりの先まで続いていて、隙間なく服が吊られていた。

一着ずつ見ていくうちに、遥は妙なことに気づいた。

どの服にも、誰かが着ていた気配があった。袖口がわずかに伸び、肘のところが体の形に膨らんでいる。ブラウスの襟元には、ファンデーションの薄い色が残っていた。ジャケットのポケットに手を入れると、くしゃくしゃのレシートが出てきた。日付は二年前だった。

そして、タグの裏に、名前が書いてあった。

マジックの手書きで。英語の名前。ドイツ語らしい名前。そして、日本語の名前もあった。寮のランドリーで取り違えないように、自分の服に名前を書いておく人も、なかにはいる。けれど、ここにある服は、一着残らず名前が書いてあった。しかも、どれも同じ筆跡だった。持ち主が書いたものではなかった。

「気に入りましたか」

すぐ後ろで声がした。店主だった。いつからそこにいたのか、まったく気づかなかった。

「ええ……でも、ずいぶん数がありますね」

「持ち主が、戻られないものもありますから」

店主は、あの青いドレスを腕にかけていた。

「こちら、あなたに似合うと思います。奥で、ご試着を」

店主が示した先に、試着室があった。厚い緑色のカーテンが半分開いていて、中に、鏡と小さな椅子が見えた。遥は一歩近づいて、足を止めた。

試着室の床の板に、四角い切れ目があった。一辺が、ちょうど人ひとりがしゃがみ込めるくらいの大きさだった。切れ目のふちに沿って、黒ずんだ染みが細く滲み出ていた。床の上の古い血が、何度も拭かれて、それでも落ちきらなかったような色だった。

遥は、試着室から目をそらした。その視線の先に、もうひとつ扉があった。

半開きの扉の向こうの小部屋に、服ではないものが積まれていた。バッグ。帽子。靴。スーツケース。誰かの生活が、そのまま床に積み上げられていた。

その山の上に、リュックがひとつ載っていた。

ファスナーに、フェルトの黒猫が揺れていた。

左耳が少しほつれて、白い糸が飛び出している。加奈子さんが、サークルの部室で「直さなきゃ」と言いながら、結局ずっと直さなかったほつれだった。

「気づきました?」

振り返ると、店主が笑っていた。優しい笑顔だった。

「素敵な方でした。あのドレスも、とてもよく似合っていました」

遥は走った。ラックのあいだを抜け、階段を駆け上がった。後ろから、店主の声だけが追いかけてきた。

「お客様。お待ちしております。また、いらしてください」

店を飛び出すと、外は明るかった。人が歩き、車が走っていた。息を切らせて振り返った。

そこに、ブティックはなかった。

埃をかぶったガラス戸に、「貸店舗」の貼り紙が出ているだけだった。通りがかった老人に聞くと、怪訝な顔をされた。ここは何年も空き店舗だよ、と。

遥は予定を切り上げて、寮に戻った。誰にも話さなかった。話しても、信じてもらえないと思った。

数か月後、日本に一時帰国したとき、サークルの集まりで加奈子さんの話になった。誰かが、加奈子さんが最後にSNSに上げた写真を見せた。

オルレアンの石畳の通り。遠くに、小さな店が写っていた。拡大すると、ショーウインドウの前に、加奈子さんが立っていた。その隣で、黒いワンピースの女性が微笑んでいた。加奈子さんの腕には、深い青のドレスがかかっていた。

それから遥は、服を買うとき、必ずタグの裏を見るようになった。

先月、寮の郵便受けに、差出人の書いていない小包が届いていた。

中には、深い青のドレスが入っていた。遥の服のサイズだった。

タグの裏に、マジックで名前が書いてあった。地下で見たのと、同じ筆跡だった。

遥の名前だった。

小さなカードが一枚、添えてあった。たどたどしい日本語だった。

「ご試着の準備が、ととのいました」


この物語のもとになったオルレアンのブティックの都市伝説、その起源と真相はこちら。
オルレアンのブティックの都市伝説・起源と真相

※この物語はフィクションです。実在の場所や伝承を題材にしていますが、登場人物・出来事はすべて架空のものです。

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