※この物語はフィクションです。
旅行というものは、少しだけ人を大胆にする。
フランスへ留学して半年。
美咲は、授業のない週末を使って地方都市を巡ることにした。
行き先はオルレアン。
歴史のある静かな街で、観光客もパリほど多くない。石畳の道、古い建物、午後のやわらかい陽射し。美咲はその落ち着いた空気が気に入っていた。
昼過ぎ、街を歩いていると、一軒のブティックが目に入った。
周囲の店とは少し雰囲気が違う。
看板は控えめなのに、ショーウィンドウの服だけが異様に美しく見える。
深い青のドレス。
繊細な刺繍。
どこか時代を感じさせる上品なデザイン。
店先には年配の女性が立っていた。
黒いワンピースに、整った化粧。
女性は美咲を見ると微笑んだ。
「日本の方?」
驚いた。
流暢ではないが、確かに日本語だった。
「少しだけ話せます。昔、旅行したことがあって」
女性は笑った。
「どうぞ中へ」
店内は静かだった。
外より少し暗い。
服が整然と並び、香水とも古い木ともつかない香りが漂っている。
美咲は夢中になって見て回った。
値札を見る。
驚くほど安い。
見た目から想像する半額以下だった。
「安いですね」
店主は少し首を傾げた。
「良いものを、手が届く価格で」
そう言って笑った。
奥に進むと、さらに美しい服があった。
店主は静かに言った。
「地下もあります」
地下。
その言葉に少し違和感があった。
店内はそれほど広くない。
でも奥を見ると、確かに細い階段が続いている。
店主は続けた。
「常連さんだけに見せる品です」
少し迷った。
でも旅行先の高揚感もあった。
美咲は頷いた。
地下は予想以上に広かった。
照明は暗い。
服が並んでいる。
いや、並びすぎていた。
数が異常だった。
誰もいない。
音もしない。
ただ静かだった。
一着ずつ見ていく。
どれも美しい。
でも、近くで見ると妙な違和感がある。
生地の質感。
柔らかすぎる。
古び方。
自然すぎる。
首元。
袖。
どれも、誰かが長く使っていたような気配。
そのとき、奥から声がした。
「気に入りましたか?」
店主だった。
いつの間にか背後にいた。
美咲は少し驚く。
「ええ……でも、ずいぶん量がありますね」
店主は答えた。
「持ち主が戻らないものもありますから」
意味が分からなかった。
聞き返そうとして。
地下のさらに奥に気づいた。
扉。
半開きだった。
なぜか視線が吸い寄せられる。
中を覗いた。
服が吊られている。
壁一面。
サイズも年代も違う。
そして。
床に置かれたバッグ。
帽子。
靴。
服だけじゃない。
生活の痕跡。
誰かの所有物。
その中に、日本語のタグが見えた。
見覚えのあるブランド。
そして。
バッグについた小さなキーホルダー。
美咲は動けなくなった。
去年、留学前に大学の先輩が見せていたものだった。
フランス旅行中に連絡が取れなくなった先輩。
周囲は事故だろうと言っていた。
写真で何度も見た。
間違えようがない。
店主が後ろで言った。
「気づきました?」
振り返る。
店主は笑っていた。
優しい笑顔だった。
「素敵でしょう。皆さん、とても似合っていました」
その瞬間、美咲は理解した。
理由はない。
証拠もない。
なのに確信した。
ここに並ぶ服は、ただの商品じゃない。
ここに来た人たちが残したものだ。
逃げなければ。
美咲は階段へ走った。
店主は追いかけてこない。
ただ後ろから声だけが届く。
「お客様」
止まらない。
「また来てください」
階段を駆け上がる。
店を飛び出す。
外は明るかった。
人もいる。
車も走っている。
振り返る。
そこにブティックはなかった。
空き店舗だった。
ガラスに貼り紙。
貸出中。
美咲は立ち尽くした。
さっきまで、確かに店があった。
通行人に聞いた。
「ここ、ブティックありませんでした?」
老人は怪訝そうに首を振る。
「ここはずっと空いてるよ」
美咲は帰国した。
誰にも話さなかった。
笑われると思った。
数か月後。
大学で、失踪した先輩の話題になった。
誰かがスマホを見せた。
旅行中の最後の写真。
オルレアン。
石畳の通り。
遠景に店が映っていた。
小さな看板。
その前に立つ、黒い服の女性。
美咲は息を止めた。
写真を拡大する。
店主だった。
先輩の隣に立ち、微笑んでいる。
そして先輩の手には。
地下で見た、あの青いドレスが抱えられていた。
その日から、美咲は服を買うとき、必ずタグを見るようになった。
特に理由はない。
ただ、時々思う。
もしあの日、地下でもう少し長く見ていたら。
もし、試着していたら。
今ごろ自分も、誰かに選ばれる側になっていたのだろうか。
そして旅行先の知らない街で、誰かがこう言うのかもしれない。
「地下もあります」
この物語のベースとなったオルレアンのブティックの都市伝説、その起源と真相はこちら。
オルレアンのブティックの都市伝説・起源と真相


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