寝る前に、スマホのアラームを三つかける。五分おきに。眠りが深くなる前に、必ず一度、目を覚ますためだ。
最初にあの夢を見たのは、大学三年の冬だった。
その夜、優斗はレポートの締め切りに追われて、明け方までパソコンに向かっていた。提出ボタンを押して、ベッドに倒れ込んだのは、空が白みはじめたころだった。
気がつくと、薄暗い駅のホームに立っていた。
夢だ、とすぐにわかった。ホームは小さく、遊園地の乗り物の乗り場のようだった。古い蛍光灯がひとつ、じじ、と音を立てていた。
ホームに、電車が停まっていた。子どもを乗せて遊園地の中を走る、屋根のない小さな電車だった。一両に二人がけの座席がひとつずつ、七両つながっている。どの座席にも、大人がひとりずつ、前を向いて座っていた。
優斗は、後ろから四両目の、空いている座席に座った。夢の中では、そうするのが当然のように思えた。膝の上に、細い鉄の安全バーが、がしゃん、と下りた。
スピーカーから、声がした。
「まもなく電車が出発しまーす。こわいですよー」
子どもの声を、大人が無理に真似しているような、間延びした声だった。
電車が動き出した。ホームを出ると、まわりは真っ暗になった。線路の脇に、ところどころ裸電球が下がっているだけだった。生ぬるい風に、鉄の匂いが混じっていた。
「次はー、活けづくりー。活けづくりですー」
ずっと後ろのほうで、男の悲鳴が上がった。
振り返ってはいけない気がした。それでも、優斗は首だけで振り返った。
いちばん後ろの車両に、子どもくらいの背丈のものが、四、五人群がっていた。灰色の毛に覆われた、猿のようなものだった。手に手に、包丁を握っていた。座席の男は安全バーに押さえつけられたまま、腹を縦に裂かれていた。猿たちは、魚をさばくような手つきで、男の体から薄い肉を一枚ずつ切り取っては、皿に並べていた。
男は、まだ生きていた。切られるたびに、声を上げていた。
優斗は前に向き直った。夢だ。これは夢だ。覚めろ。
「次はー、えぐり出しー。えぐり出しですー」
後ろから二両目で、女の人が叫んだ。叫び声の中に、湿った音が混じった。スプーンで、硬いゼリーをすくうような音だった。それが二回、聞こえた。叫び声は、すすり泣きに変わった。
覚めろ。覚めろ。覚めろ。
優斗は自分の腕に爪を立てた。痛みはなかった。
「次はー、挽肉ー。挽肉ですー」
すぐ後ろの座席で、機械の音がした。手回しの、大きな鉄のハンドルが回る音だった。後ろの男が、言葉にならない声を上げた。骨が砕ける音がした。生暖かいものが、優斗の首筋に飛んできた。
次は、自分だ。
優斗は目を固くつぶって、叫んだ。
気がつくと、自分の部屋の天井を見ていた。全身が汗で濡れていた。首筋に手をやると、乾いていた。
夢を見たのは、その一度きりだと思っていた。
二か月後、また試験前の徹夜明けに眠ったとき、優斗は同じホームに立っていた。
電車が停まっていた。座席は、ひとつだけ空いていた。後ろから四両目。この前、優斗が座った席だ。
その後ろの三つの座席には、誰も座っていなかった。どの座席も、どす黒く汚れていた。
「前回の続きでーす」
スピーカーの声が言った。
「次はー……」
優斗は座らなかった。座る前に、自分の頬を、思いきり殴った。
目が覚めた。鼻血が出ていた。
意識が完全に戻る直前、耳元で、あの間延びした声がした。
「また逃げるんですかー。次に来たときは、最後ですよー」
それから、アラームを三つかけて寝るようになった。眠りが浅いうちに起きれば、あの夢まで落ちることはない。この三年間、それで一度も、あのホームには立っていない。
昨日の朝までは。
昨日の朝、アラームは一つも鳴らなかった。スマホを見ると、三つとも、止めた記録が残っていた。四時五十分、四時五十五分、五時ちょうど。自分で止めた覚えは、ない。
起き上がると、枕のまわりに、小さな足跡がついていた。子どもの手のひらほどの大きさで、指の長い足跡だった。赤黒く乾いていた。それが、シーツの上を、枕からベッドの端まで、何往復もしていた。
夢の内容は、何も覚えていない。
ただ、膝の上に、細い鉄の棒が当たっていた感触だけが残っていた。
それから、一睡もしていない。今で、五十時間になる。
まぶたが重い。部屋の古い蛍光灯が、じじ、と音を立てはじめた。
膝の上に、何かが、がしゃん、と下りた。
この物語のもとになった猿夢の都市伝説、その起源と真相はこちら。
猿夢の都市伝説・起源と真相
※この物語はフィクションです。実在の場所や伝承を題材にしていますが、登場人物・出来事はすべて架空のものです。

